禄事尊

しもつけの伝説  第一集 粟野町下粕尾の民話                  よもぎのお灸で難病を治した話

    娘をかいぼうした話

 いまから八百年ほどむかし、粟野町下粕尾の常楽寺というお寺に、中野智元という和尚さんが住んでいました。この智元和尚は、徳の高い僧侶として有名であったばかりでなく、ことに医術の道に明るい名医として、近郷近在の人々から親のようにしたわれていました。

 この智元和尚には、小春姫という目の中に入れてもいたくないほどかわいい一人娘がありました。山の中育ちには似合わない美しさで、村の若者たちのうわさの種になっていました。智元和尚はもとより母親も、じまんの一粒種を下へも置かないかわいがりようで育てました。

 ところが、この小春姫が、十七歳になったとき、ふとした病気がもとでどっと病いの床につくようになってしまいました。もとより名医のほまれ高い智元和尚のことですし、ましてたった一人のかわいいわが娘のことですから、医術の限りをつくし、薬石のすべてを投じて治療に当たりました。しかし、智元がどのような秘術をつくして治療しても、小春姫の病気はいっこうによくならないばかりか、かえって悪くなるばかりでした。

 こうして、あらゆる手当をつくした智元和尚ですが、結局は自分の医者としての限界をさとらざるを得ませんでした。残念ですが、医者として病気に打ちかつことができなかったのです。そこで智元は、小春姫に向かって、

 「わたしも下野の名医といわれ、その医術の限りをつくして治療に当たったが

 どうしてもお前の病気だけは治すことができない。このうえは、どこの国でも

 いい、わしより名医をたずねて治療してもらいなさい。そして病気が治ったら

 帰って来なさい。もしなおらなかったら、再び帰って来なくてもいい。」

 ともうしわたしました。小春姫は、名医の父にも治せないほどの病いにかかったわが身の不運をなげきましたが、お父さんの言うことももっともだと思って、両親に別れを告げ、なつかしいわが家を後にしました。

 旅に出てなん日かして、真名子の大宮という所にさしかかったところ、折あしく日が暮れてしまいました。姫はしかたなく大きな木の下で、一夜の露をしのぐことにしました。そして、ようやく眠りについたかと思うころ、ふと人のけはいで姫は目を覚ましました。すると姫のまくらもとに白髪の老人が立っていました。その老人は姫にやさしくほほえみを投げかけ、

 「お前は難病で苦しんでいるようだが、わたしが治してしんぜよう。それにはま   

 ず、これから南の方、伊吹山という山がある。その山へ行って七つ葉のよもぎを

 取り、それで灸をすえなさい。どんな難病でも治るであろう。」

 と言ったかと思うと、かき消すように消えうせてしまいました。

 夜が明けて、姫はふしぎなことだと思いましたが、これも神の助けであろうと思って、さっそく伊吹山へ行き、ゆめのお告げのとおりに七つ葉のよもぎを取って、七日の間それで灸をすえました。するとふしぎなことに、病気は日ましによくなり、七日目にはさしもの難病もわすれたように治ってしまいました。

 姫はおお喜びで、その日のうちにわが家へ帰り、両親にこのお話をしました。両親、とりわけ父親の智元和尚は、喜ぶよりびっくりして、天下の名医といわれている自分がどうやっても治せなかった難病を、わずか一週間で治してしまったその治療法のひみつがしりたくなりました。そこで娘に向かって、

 「お前のこんどの難病をわずか一週間で治してしまった治療法は、ほんとにふし

 ぎなことで、世間の人々から名医といわれているわたしも、ぜひその治療法が知

 りたい。しかし、その治療法を教えてくれた人が、どこのだれということがわか

 らない以上、その人にたずねることもできない。この上は、お前の体の中の様子

 を見て、その治療法を研究したい。どうかお前のその体を、このわたしにくれな

 いか。」

 といいました。小春姫は最初はひじょうに驚きましたが、もとよりかしこい娘でしたから、父親の医術の研究に対する熱意の強さをすぐさとりました。そして、

 「お父さんの仰せですから、わたしの命など少しも惜しくはありません。わたし 

 一人の命が、この世の中の難病で苦しんでいる大勢の人々を助けることになるの

 でしたら、喜んで父上にさし上げましょう。」

 と、けなげにも言い切りました。智元の喜びはひとしおです。しかし、このことが母親に知れると、反対されることがわかっていましたから、母親は娘の病気がなおったお礼にと伊吹山へ参詣にやって、その留守に智元は娘の小春姫を裏山の沢へ連れて行って、解剖しました。そのことがあってから、この沢を子見谷沢というようになりました。

 さて、七日間の山参りが終わって、母親はわが家へ帰って来ました。ところが、元気なはずの小春姫がおりません。夫の智元和尚に聞きますと、医術研究のために娘の命をうばったことがわかりました。智元は、万人の命を救うために、どうしても娘の命がほしかったのだと、けんめいに説明しましたが、わが子かわいさの妻をなっとくさせることができませんでした。もちろん、智元とても妻の深い悲しみは、じゅうぶんわかりました。そこで智元は、娘の霊をなぐさめるとともに、娘の解剖によって知りえた高い医術を世の中に広めるため、妻と別れて旅に出ることにしました。

 智元和尚は、こうして関東地方はもとより北は奥羽地方から南は九州まで、全国をくまなく回って娘の菩提をとむらい、あわせて医術の普及と修行にはげみました。そして、たまたま京の都にたどり着いたとき、都ではときの天皇のお父様である後鳥羽院が、ひどい御病気にかかって苦しんでおいでになりました。宮中に仕える典薬や典医といった天下の名医中の名医が集まっても、全く手のほどこしようがなく、院の御病気は日一日と悪くなってゆくばかりでした。

 ちょうどその時、医術修行のため全国を歩いている智元和尚が参りましたので、さっそく宮中へ召し出して、後鳥羽院の御容態を拝見させることになりました。智元は院のお脈をとり、お薬を差し上げましたところ、御病気はたちまち全快してしまいました。

 後鳥羽院はひじょうにお喜びになり、ごほうびとして智元和尚に、『禄事法眼』という医者として最高の称号と粕尾郷を領地としてお与えになるとともに、ときの名工といわれた定朝の作った薬師如来像をたまわりました。

 智元和尚は、今は禄事法眼となって、京からめでたく故郷の粕尾に帰り、粕尾の領主になりました。そして、これというのも娘の孝心のゆえと思われ、六万部のお経を読ませて、その供養をねんごろに行いました。しかし、母親は

 「いかに上皇様の病気を治し、粕尾を領地としていただいても、かわいい一人娘

 の命にはかえられません。」

 といって、尼さんになってしまいました。

 こうして智元和尚は妻に去られ、一人ぼっちになってしまいましたが、天下の名医としてのひょうばんはますます高まり、その徳をしたって全国から多くの人が集まりました。 

 智元和尚亡きあと、粕尾の人たちはその人がらをたたえ、これを禄事尊としておまつりし、今にいたるまでその功績をしのんでいます。